NEWS NO.34(2015年度)
仙北学園長が黒澤酉蔵について講演
本学を創設するとともに、酪農や北海道の発展に貢献した黒澤酉蔵の生誕130年を記念する講演会が札幌市内で開催され、仙北富志和学園長が「黒澤酉蔵翁-生誕130年・遺訓を聴く-“健土と健民”に虹を架けた農思想」と題して講演を行い、農業団体や行政の職員、大学教員、本学教職員OBなど約100名が参加しました。
■仙北学園長の講演
黒澤酉蔵の足跡に触れた後、多岐にわたる活動や農思想を紹介しました。
○教育活動について
昭和8年に北海道酪農義塾を創設しました。全国に国が設置した農民農場がありましたが、酉蔵翁は自立した農民を育成するために、デンマークの実学教育を見習い、全寮制で授業料を徴収しない学校をつくりました。
○産業活動について
大正12年の関東大震災後に救援物資として海外から大量の乳製品が入ったため、国内乳業メーカーが国内の生乳を買わないという状況が生まれ、酪農民が困ったときに、北海道製酪販売組合を設立し、一元集荷多元販売に取り組みました。組合は後に公社となり、株式会社となって、雪印乳業に発展しました。
○政治活動について
デンマークの協同組合を見習った国づくりが必要と考え、昭和20年に日本協同党を作りました。26年には北海道知事選に立候補し、大接戦の末に落選して政治活動から足を洗いました。戦後の食料増産と北海道開発を同時に進めるため、引揚者を対象とする緊急入植政策を提案しましたし、29年に北海道開発審議会の会長となってからは根釧パイロットファームや新酪農村事業などを実現させました。もし、政治活動を続けていれば、総理大臣になっていたかもしれません。
○農思想について
食料事情が厳しい昭和17年に、食料自給は国の根幹であるが、ただ量があればいいというものではなく、栄養分や質に着目しなければならないと、先見的な考えを述べています。戦後の復興期には、国民食生活の質的改善、適地酪農と農業教育の刷新が必要であり、本州をまねた稲作農政から脱却して、北海道は酪農を定着させて寒地農業を確立すべきと説きました。「適地適作」は黒澤酉蔵が作った言葉です。また、地帯別の農業地図を作り、一律ではなくやる気のあるところに重点的に資金を投入すべきと、画一的農政からの脱却を訴えました。私は青森県庁時代に中央管理的な一律農政から「地域選択型」農政への転換を主張しましたが、酉蔵翁の考えが身についていたのだと思います。
■太田原高昭北大名誉教授のコメント
黒澤酉蔵は、一つの理念を貫き通すため、様々な分野で業績を上げた偉大な人物です。足跡の中で日本国民協同党に関心を持っています。後に国民協同党となり、片山内閣の与党として連立政権に加わりました。昭和22年には農業協同組合法(農協法)、23年に水産業協同組合法(漁協法)が施行となりました。弱肉強食の資本主義の中で、小さいものが協力して大きいものに対抗するという経済民主主義の考え方を日本で実現させたものです。今、北海道は農協、漁協、生協が強い協同組合王国です。酉蔵翁に象徴される先人を引き継いで我々があることを改めて認識する必要があります。