NEWS NO.47(2013年度)
実践酪農学で高橋勇さんが特別講師
本学農食環境学群 循環農学類は、4月からの毎週金曜日9時00分~10時30分、本学C5号館202教室にて、「実践酪農学(前期講義)」を行っています。この講義では、様々なスタイルで酪農を営む酪農家を特別講師にお招きしています。

7月5日(金)は、浜中町農業協同組合の高橋勇参事(1984年大学 酪農学科卒)が「地域の生き残りをかけた浜中町農業の挑戦〜地域に根ざす起業として〜」と題し、浜中町農業協同組合の概要をはじめ、酪農技術センターや、新規就農などの取り組みについて話しました。

■高橋勇さんの講義■
浜中町というところは、釧路と根室の間に位置する人口6,300人の町で、漁業や酪農の多い地域です。札幌近郊とは違って土地柄、霧が多く気温が低いので畑作には向いていないため、牛を飼う酪農家が多いところです。そういったことからも道内の牛乳生産量の約7割を道東方面がしめており、昨年は道内生産量約380万トンのうち約10万トンを生産しました。
わたしが浜中町へきたのは酪農学園大学を卒業した年なので、来春で30年間住んでいることになります。酪農学園大学に在籍していた時は、家畜栄養や牧草、サイレージについて学んでいました。その頃、JA浜中町では酪農技術センターを全国で初めてつくり、ちょうどわたしのような勉強をしていた人材を探していたということから就職がきまりました。
酪農技術センターは、牛乳のチェック、土壌やえさの分析、牛の健康管理、栄養管理のコントロールと、農家さんの経営に関してはもちろん、酪農業に関する管理をすべて行うところです。今では、こういった施設は多くなりましたが、生産現場でこのような施設を設置するのは当時大変めずらしいことでした。
走るのが早いひと、いっぱい食べるひと、ぐっすり眠りたいひと、それぞれ1人1人個性や性質が違うように、牛にも1頭1頭個性があって人間と同じです。濃いミルクを出す牛もいれば、薄いミルクの牛もいます。牛乳は生ものですし、搾りたての牛乳は30℃以上あるうえ栄養化が高いので細菌の温床となってしまいます。なので、すぐにチェックをしないと傷んでしまいます。そして、牧草はえさとなり牛乳となるので、牛に到着するまでしっかりコントロールしないといけません。乳製分析は牛の体細胞を分析し生乳への不純物の混入などの検査、生菌分析は搾乳環境の衛生面を把握、土壌分析、飼料分析は牛のえさとなる牧草を作る為の管理などを行なっています。健康な牛からミルクをとる。牛が喜んで食べるためのえさづくり。消費者に安全なものを提供する。これがすべての原点であり、とても大切にしていることです。
酪農技術センターのこういった品質管理体制がハーゲンダッツジャパン株式会社に選ばれ、昭和61年から浜中町の牛乳が使用されることになり、現在もハーゲンダッツジャパン株式会社で使用している9割以上の牛乳が浜中産です。
JA浜中町での取り組みについては、昭和58年から新規就農者の受け入れをしています。昭和40年頃から、世の中の流れや、経営、後継者問題で酪農家の数は減っていましたが、離農地を買い取るなどして1農家あたりの規模はどんどんと拡大しました。しかし規模を拡大した農地は機械化してもやはり限界があって昭和の終わりごろには、耕作放棄地が埼玉県と同じくらいの約40万ヘクタールとなってしまいました。
そういう状況についてどうにかしなければならない、この状況を止めなくてはいけないと考えついた結果、平成3年に2億円をかけて就業者研修牧場をつくりました。研修にくる方は、先輩たちがお手本となるためすぐ作業に入ることができます。現場の仕事は、早くに体に覚えさせることが大事なことであり、たくさんの経験を積んでいくことによって、あとからノウハウはついてきて、経営するための学びも身についていくのです。研修を経て、新規就農された方々は現在までに33件、日本中から集まってきますが関東や関西からやってきた方が多いです。2年から3年の研修を終えると、みなさんきちんと経営ができるようになり自立していきますが、今でも一番の問題は担い手の数が少ないということです。農地は一度つくるとずっと続けることができますが人がいないと、まるでできなくなってしまいます。
しかし20年過ぎてあらためて思うのは、就農者研修牧場の設立をやってみて本当によかったということです。もしも研修牧場をつくっていなかったら、今よりももっと浜中町の人口が減っていたはずです。わたしが小学校の頃、離農が原因で転校していく同級生がたくさんいたので、浜中町の小学校が新規就農者の子どもたちがいっぱいになりとてもうれしく思いますし、同じことの繰り返しはよくない、どうやったら止められるのだろうといつも考えていました。
生き物をあつかう酪農業というのは、土壌やえさ、運搬、管理など幅広くいろんな職種の人とかかわっていく仕事であり、その職種が1つでも欠けてしまっては成り立ちません。農家がいないと店や会社、地域の小学校がなくなってしまい町が滅びてしまいます。なので、いろんなことを地域の人と協力し生産の維持をしていくことにも努力をしています。例えば、1年の中で忙しくなる牧草収穫の時期は、眠る時間がない、ごはんを食べる時間がないなど農家にとってはとても大変です。そういった問題についても、なにをしたらよいかを考え、コントラクターを取り入れてみたり、“牛の学校給食”と呼んでいますが、たくさんの牧草を管理し農家に配ることも8年くらい前からしています。
さまざまなことにチャレンジし走り続けていましたので、今になって“田舎で農業をしているということは、まわりの自然環境が素晴らしい”ということにようやく目がいくようになり、未利用地に木を植えて動物たちが行き来できる“緑の回廊づくり”や、イトウが遡上できるような魚道の設置、風蓮川河川植栽などもとりくむようになりました。また、担い手を育てるための農協学習塾や、太陽光発電導入、農家OB、OGの為のデイサロンや英会話教室を開くなど、地域貢献活動も活発に行っておいます。
“おもしろそうだからやってみよう!”となんでもやってみてください。やってみないと、わからないことがたくさんです。“リスクばかり考えないでどうやったらできるだろう。”と考えてみてください。そして“たら、れば”など、ダメなことばかり並べてはなにもできません。“ああしよう!こうしよう!変えよう!”そう思えばなんでもできます。その時よければいいと思っていると、どこかでひずみが必ずやってきます。わたしたちがチャレンジしてきたすべてのことは、5年後も10年後もその先もずっとつづくことを意識して取り組みました。なので、若いみなさんもたくさんの”やってみたい”を実現させるよう、がんばってください。
と、話しました。